「茨の海」 「自分のしたことを見つめなさい」 より ぷかりぽかりと漂う影。 巨大な水槽の中。そこには何も入っていなかったはずなのに。 今は深夜。 私はエリヤの実験に立会い、それが手間取った所為でこの時間までここに居る。 実験は残念ながら失敗に終った。 全てを片付け、疲れた足取りでこの廊下を歩いていたら偶然、それを目にしてしまったのだ。 廊下を切り分けるように伸びる柔らかな光。 立ち止まり覗き込んだ開いた扉の向こう、薄淡いエメラルドグリーンの光の中、それは、まるで悪夢のようにそこにいた。 一歩、後ずさる足が、かつりと音を立てる。 水槽の前、立ち尽くす者がその音に気付きこちらを向いた。 「……ジュグイーヴ……博士……」 尊敬する博士の名前が、喉に絡む。 博士は、見られた事に何の驚きもなく、私を手招いた。 その動きに誘われ、私は部屋の中に入る。 その後ろで音もなく、扉が閉じた。 「!」 閉じ込められた。一瞬、背筋が凍る。 「君は……これをどう思うかね」 聞き慣れた、静かな声が私の耳に滑り込んでくる。 思わず顔を上げると、エメラルドグリーンの光に照らされた博士が、真っ直ぐに私を見つめていた。 「これ……とは、その、生き物、のことですか?」 生き物、と言うのには少し抵抗があった。 合成体。そう言った方が正しい。キメラ、と。 ただ、それは人間の身体を持っていた。 人間の身体を使うことは、今だ禁忌とされていたはずなのに。 「せめて『彼女』と呼んでやってくれ」 そう。それの上半身は人間のもので、確かに女を現す乳房が備わっている。 だが、その下半身は、深海魚としか言い様のないものにつながっていた。 そして、深海魚の身体から無様に生える、足先。 虚ろな、瞳。 「ありえない……」 私がようやくそう答えると、博士は悲しげに唇の端を歪め、 「やはり、君もそう言うかね。私はただ、人が水の中でも生きてゆけるようにしたかったのだが」 「でもそれは、タブー……」 「残念ながら、命令は来ているのだよ。人を進化させる術を探れ、と。そのためには人体実験もやむを得ない、と」 私の言葉を遮るように、博士は強い口調で言った。 「宇宙でも、人が生きてゆけるように」 私はただ言葉を失う。そんなことが、いつの間に? 「『ネオ・ダーウィン』が支持されてね。ここはともかく、地上には人が溢れてひどい有様だ」 あぁそうだ。そんな話は私が子供の頃から、いやそれよりもずっと前から言われている。 誰もが「人が多すぎる」ことを口にし、そして誰もがすぐにその口を閉ざす。 誰一人として、「削除される側」に回りたくないのだから。 そしてそれが、地上に際限なく人をはびこらせ今に至る。 その結果が、目の前に浮かぶ彼女なのか。 「正直な話、助手が一人必要なところだった。君が現れたのは、偶然なのか、彼女の導きなのか……」 博士は呟く。 「……私はもう麻痺してしまってね……」 博士の言葉は、水槽の中の彼女に向けていたのか、それとも私に向けていたのか。 それから。 幾体もの彼女たちが作られ、そして殺された。 始めのうちは彼女らが殺されるたびにありったけの花で飾っていた私も、やがてその行為の無意味さに気付くことになる。 |
ヒトコト | 草刈 | タイトルは、彼女が言った言葉なのか私が投げ付けた言葉なのか、今はもう解りません。 |
深瀬 | 設定的に言うなら、この話は「標本」と「ここではないどこかへ」の間の話となります。 「私」の性別は、あえてつけてません。どちらでも、お好きな方をどうぞ。 |
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