「君の正義、僕の真実」  「歩いて行く」 より

 「う……っ」
 目の前に広がる、凄惨で奇妙な光景。
 私の叫びとその後の絶句は、ヘリコプターのローター音に消され、誰に届くことはなかったけれど、しかし、この光景を目にしたものは、多分私と同じ行動をとるだろう。
 まず、驚き、そして吐き気をこらえるために口元に手をやる……。
 目の前に広がるのは、まあ、そういった光景だった。
「博士……これは?」
 その光景を見つめる五人の中で、誰よりも早く立ち直った、警部が振り向きざまにそう問う。
 さすがに警部と言うだけある。様々な現場を見ているだけ、こういう光景にそれなりの免疫があるのだろう。
「これが『ヘレナ』の威力ですか」
 警部が、静かにそう聞いてきた。
 私は、ただ頷いてみせる。まだ、そうするだけで精一杯だった。
 ヘリコプターのローター音が小さくなってゆく。
 と、言うことは、ここが目的地に間違いないという証拠で、そしてこれが彼女、ヘレナの起こした愚行の結末と言うことになる。
 いや、彼女の起こした行動は、愚行なのかその逆なのか、今こうなってしまっては、それを見定める術は無い。
「ともかく、いつまでもここでこうしてぼんやりしているわけには行きませんな。」
 さすがに行動を常とする警部の言葉だ。
 しかし、それに頷くことが出来たのは、彼の伴ってきた若い刑事一人だけだった。
「博士、『ヘレナ』は放射能のように我々に何らかの悪影響を及ぼすことはありませんか?」
 果敢にも大地に降り立とうとした警部の手を止め、パイロットが問う。
「それは大丈夫だと思う。『ヘレナ』は、人間には何ら影響を及ぼさぬよう作ってある筈だ」
 彼女の胸ポケットに残されていた、最終調整の塩基記号。
 その結合を緩める因子の上に、書きなぐられた×印。
「と、言うことは、つまり……」
 今だ信じられない様子で、パイロットは辺りを見回す。
 ヘリコプターの強風にあおられ、同心円状に倒れた、もの。
 今まさに次の一歩を歩み出そうとして、その動きを封じ込められた、足。
「確かに……。そうだと結論を出したくは無いが、どうやらここに住んでいた者たちは、足以外人間ではなかった、という事だ」
「少なくとも、私達に影響が出ないというなら、早速私は、この街にどれだけの被害が出たのか調べることにします。おい、行けるか?」
 林立する足の持ち主については、おおよそ、その付近に散乱するズボンや、服や、靴で判断がつくだろう。
 警部が振り返り問うと、まだ若い刑事は少し戸惑いながらも頷いた。
 ヘリコプターのシャッターが開く。
 一瞬、中の五人すべてが流れ込んでくる大気に息を止めたが、それは仕方ないことだった。
 意を決したように、警部がゆっくりと息を吸う。
 そして、吐く。
「大丈夫だ。行くぞ」
「ハイ」
 訓練された者の動きで、二人はきびきびと外に出てゆく。
 負けじと外に飛び出そうとした私の助手の腕を捕まえ、私は隣のシートに座らせた。
「博士、彼等に一次検分をさせてしまって良いんですか?貴重な……」
「君が、そうやって研究熱心なのは良いことだ。だが、ここは研究者が集う建物の中ではない。すでにこれは事件なのだ。事件の第一歩を飾るのは、博士ではない。彼等なのだよ」
「はぁ……」
 幾分納得のいかない様子で、それでも助手は頷いてみせる。
「それに彼等は野暮ではない。訓練されている。彼等がやることは、『何故この街の住人が死んだか』では無い。『何人、この街に人が残っているか』なのだ。残された足について調べるのは我々の仕事だし、その足にしたって、ご覧、こんなに沢山残されている。
 彼等がどれだけ資料として徴収しても、我々に残されるものは余りある数だろう」
「ええ。そうですね」
「しかし、ヘレナはどうしてこれを思いつき、実行しようとしたのか……。そして何故、ここを選んだのか……」
 シートにもたれながら、私は彼女についての回想を始めた。

 第一印象の彼女はどうだっただろう。
 こんな、大胆にも無謀な計画に身を投じる人物ではなかったように思う。
 私の元にやってきたのも、私の解析していたヒトゲノムの部位が、彼女の研究している題材の資料として必要だった、と言うぐらいで、私と彼女の語らいは、そう多いものではなかった。
 栗色の長い髪。伏目がちの瞳。華奢な……身体。
 口数の少ない彼女が何を考えているのか察するのは難しく、ひっそりと進められる彼女の研究を知る者はそう多くなかった。
 人と、そうでないもの。
 それを隔てる一つの結論に、彼女は遭遇し、そして……。そして。
「ヘレナ」
 それには結局、彼女の名前をつけるしかなかった。
 それを発動した彼女は既に射殺され、研究データは彼女の手によって消去されていた。
 それがどうやってこの惨状を生んだのか、それがどんな作用をしたのか、もう誰にも判らない。
 残るものは、ただ林立する、足。

「博士」
 助手に呼ばれ、私は目を開ける。
 血だらけになった彼女の姿を回想していた最中だったから、彼の呼びかけに助けられたようなものだ。
 顔を上げると、助手が心配そうに私を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
 頷くと、助手はシートから立ち上がり、私を促した。
「そろそろ、外に行きましょう。あの人たちの検分も、ここから離れたみたいですよ」
「ああ。そうだ、ね」
 立ち上がる。と、座り続けていた身体がきしんだ。
 助手が咄嗟に出した手を頼り、私は身体をヘリから下ろす。
「あんまりがんばらないで下さいよ。博士。思うより鍛えてないんですから」
 助手のわかったような忠告に、私は苦笑して答える。
「それでは、ひ弱な私は後ろに控えていることにしようか」
「はいはい」
 現場に立ってしまえば、そんなことは決してしない私の事を知っている助手は、簡単に答える。
 そして、私達は足の佇む同じ大地に足を下ろした。
 災厄が落ちたばかりのこの場所で、オブジェのように立ち並ぶ足はまだ腐敗せず、現代芸術家が作り上げた代物のように音も無くある。
 せめて、生き残ったものが一人でもいれば。
 しかし、この有様ではそれは叶わぬ望みだ。
 私達は言葉無く、ただ仔細に残された足を観察する。
 切り口と言うほど綺麗ではないそこから、神経や血管や筋肉が零れ落ち、風に揺れる。
 それらは、良く出来ている、と他人事の様に思わなければ正視できない光景だ。
 だが、我々はそれに慣れている。
「博士、彼らは、これだけの足を、どこから調達したんでしょうね。そんな事件、聞いたこともありませんよ」
 どこかが麻痺したようなのんびりとした口調で、少し離れた所から助手が言う。
 助手が呟いた事件が起きていたとするならば、それは酷く世間を賑わしただろう。
 遠くで作業をしている警部なら、その一端を聞いているかもしれない。
 しかし、助手が言うとおり、そんな事件が起きたことを私も知らない。
「ああ。そうだね」
「博士、DNA鑑定なんてしても、無駄でしょうか?」
「まぁ、やってみると良い。手持ちの機材で出来る範囲で。それでもし何かがつかめたら、幸運だ」
 もし、この足たちに別の持ち主が存在するとしたら、それは、事件の謎を解く鍵の一つになるかもしれない。
 その機材はヘリに積んである。
 爆発に巻き込まれ死んだ者を鑑定するため、簡素とはいえ高性能のものを積み込んできたはずだ。
 その作業は言い出した助手に全て任せた。
 サンプルはそこここにあるのだ。さらに、取り扱いに気を使う必要もない。
 屈めていた腰を伸ばし、私は空を振り仰ぐ。
 どことも変わらぬ空。どことも変わらぬ雲。
 周囲全て山で囲まれたここの天気は変わりやすいはずだが、今、その気配はない。
 動物の声さえもしない静寂の中、動いているのは私たち五人だけ。
「博士……、足だけを移植する、そんな事が可能だったんでしょうか?」
 沈黙に耐えかねたように、助手は再び疑問を口にする。
「可能、とは?」
 そして私も、いささかこの沈黙に参っていた。
 助手のあてのない疑問を、問い直す。
「人間同士でさえ、拒否反応が起こるのに、彼らは、それを、どう克服したんでしょう」
 助手のささやかな疑問に、私は目を開く。
 確かに、それは重大なことだ。
 その技術が、その方法があれば、移植手術は飛躍的に進歩する。
 種族を超えた移植。それを行う技術は、我々の持つそれよりも遥か高みにあるはずだ。
 ふいと、その技術に渇望を覚えた私は、切実に彼らの生き残りを求めた。
 建物の影から、疲れた顔をした警部が現れ、私は一縷の望みをかけて彼に近寄った。
「警部、生き残っている人はいましたか?」
 しかし、彼はむなしく首を振った。
「いたら、真っ先に連れてきますよ。博士」
 呟くように言うその言葉は、真実。それを不思議に素直に納得し、私は唇を噛んだ。
 警部は、煙草を胸ポケットから取り出し、咥える。
 ヘリの中は禁煙でしたからね、と言い訳のように呟いて、火をつけた。
「彼女は、何のためにこうしたんでしょうな。何が目的で。ここの人々が、彼女にいったい何をしたんでしょう」
 吐き出した煙と共に呟かれる警部の問いに、私が答えることは出来なかった。
 彼女の出身地はここから離れているはずだ。
 いや、私達が知らないだけで、彼女はここに繋がる何かを捕まえたのだろうか。
「しかし、これが現実とはどうしても私には信じられんのです」
 諦めたように、警部は言う。
「この小さな町の全ての住人が、その……人ではなかったなんて」
「警部。ここは、どんな町だったんです?」
 問う。それは、私の知らない事柄だ。
「なんとかっていう宗教の教えに従っている、自給自足の町ですよ。犯罪も少ない、いや殆どありませんから、管轄も……」
「なるほど」
 警察の介入も必要ないほど、閉鎖された町。
「では、この町から出て行く、若者などについては……?」
 警部は、ただ首を振る。
 確かに、この町の住人以外の誰が、その全てを把握出来るというのだろう。
 そして、その住民全てが消え果た今となっては、それを調べる術もない。
 もっと時間と人手を使い、例えば長老のような役目をしていた者の家を調べれば、そういった記録もあるかもしれないが、この小さな閉鎖された町に、そんなものが必要だろうか。
 我々の国でさえ、今だ全ての人間を把握しているとは言いかねるのだ。
「博士」
 戻ってきた助手の慌しい声に、私は振り返る。
「どうかしたかね? 分析の方は順調かい? データ転送は?」
 しかし、助手の顔は真っ青で、しばらく言葉を捜すように口をパクパクさせ……、そして、ようやく喉の奥から言葉を搾り出した。
「ヘリの……、パイロットが、消えました」
「何!」
 私よりも警部の方が気色ばんだ。
 逃亡。そんな言葉が彼の頭をよぎったのかもしれない。
「いつ?」
 語気荒く問う警部に、言葉を取り戻した助手はあえぎながら答える。
「例の足を分析にかけ、周辺のビデオを転送している最中でした。悲鳴がしたと思ったら、足だけが……残って……」
 その瞬間を見てしまったのだろう。言い終わった瞬間に助手は崩折れ、そして、吐いた。
 そんな助手の姿を見下ろしながら、私と警部はただ顔を見合わせる。
 胃の中の物を出し切った助手は、涙目で私を振り仰ぐ。
「博士。僕らも、ああなるんですか? 砂のように……ぐしゃって」
 答えることは出来なかった。
「警部、その、パイロットの身元は?」
 駆り出したのは彼の管轄に近い。しかし、警部はただ首を横に振った。
「ここの住民で無い事は判っている。だが、遡ればそれは判らん」
 簡潔な、答え。
 だがそれは、新しい恐怖を生んだ。
 今現在ここ爆心地の危険度と、自分のルーツ。
 それら二つはどちらとも、確固とした安心を与えてくれるものではなかった。
 そう。もし、DNAの一欠に、彼らの因子が混ざっていたとしたら。
 『ヘレナ』は、容赦なくそれを排除するだろう。
 沈痛な沈黙が私達を包んだ時。
 銃声が、響いた。
 咄嗟に動いたのは、警部だった。その外見とは裏腹な、俊敏な動きに私は彼を見直す。
 現場で得た身体の動きは、多少の肉で妨げられるものではないらしい。
 そんな奇妙な考えを片隅で考えながら彼の後を追う。
 程なくして、立ちすくむ彼とその部下の陰惨な姿に出会った。
 変調する身体に絶望し、一息に死にたかったのだろう。
 しかし、弾丸は空しく塵と化した身体を突き抜けてしまった。涙を浮かべた年若い彼の顔は地面に残り、やがてそれも塵と消えた。
 刻々と変わるそれを、私達は言葉無く見守っていた。
 それしか出来なかった。
 やがて、笑い声が響いた。
「ねぇ博士信じられますか? 私人間じゃないのよ、なんて言われて、誰が信じるんですか?」
 狂笑は、私の助手の唇から漏れていた。
 年嵩の二人は、無言で彼を振り返る。
 いつの間にか、助手の手には銃が握られていた。
 その銃口は、真っ直ぐに私に向けられている。
「君は……何を……」
 偶然、私は彼と警部の間に立っていた。
 そして情けないことに、私は立ちすくんでしまっていた。
「博士は、知っていたんですか? 僕と彼女の関係を」
「君は……何を……」
 それ以外言葉を見つけられない私は、ただ繰り返す。
 助手の持つ銃は、今や頼りなく震えていた。
 発砲するのは、ほんのささやかなきっかけだ。
「それとも、博士も彼女と関係、していたんですか? そうですか? そうなんでしょう?」
 狂人の、狂想。思い込み。それは助手の心を一気に加速させていた。
「だから僕を選んで……。こんなことになるなら、辞退すれば良かった!」
「待ってくれ。君の言う彼女とは、誰の事だ?」
 出来るだけ穏やかに、私は言う。語尾が震えたのは仕方のないことだ。
「誤魔化さないで下さい。ヘレナに決まっているじゃないですか。彼女は、僕を……」
 ぴたり、と銃口が止まった。
「僕を殺すためにこんなことをしたんだ!」
 瞬間、私は目をつむった。
 銃声。
 しかし、覚悟した激痛も衝撃も起こらず、ゆっくりと私は目を開く。
 肩口を押さえ、うずくまる助手が目の前にいた。
 振り返ると、警部が銃を下ろす姿があった。
「警察のいる前ですることじゃないな。詳しいことは後で聞きましょう」
「後なんて、アりまセンよ」
 助手の唇が、歪む。
「彼女トの関係を疑わレる、ナんて、下種ナ考え、起こサなけレば良カッタンダ」
 言葉が、呟きのように不鮮明なものになってゆく。
「深夜、独りの彼女を、襲っタ、僕ハ」
 告白。独白。懺悔。
「彼女ハ、笑ッタ。笑ッテいタ」
 目の前で、助手の姿がぼやけ始めた。
「君!」
「彼女ハ……、僕を、憎ンでいタのかナ……」
 言葉はどんどん不明瞭になり、助手の姿は煙るようにぼやけてゆく。
 そして、最後の崩壊は一気に訪れ、ざらりと音を立てて助手の姿は塵になった。
 そして残る、足。
「この町は、消えた方が良いのでしょうな」
 静かに、警部が呟いた。
 しかし、私にその権限はない。
 この場所をどうすれば良いのか、もう私にも判らない。
 弱々しく首を振るだけの私を見、ふと気付いた警部はポケットから携帯を取り出し、静かにそれが発する言葉を聞く。
「上が指令を下しましたよ。後十分で、ここにはミサイルが落ちてきます」
「ミサイル……?」
 警部の言葉は、残念ながら理解できなかった。
「この町は、不幸な事件が起きて消滅するのです。核の誤爆ですから、しばらく誰も近付かないでしょう」
「核! それでは我々は!」
 例えヘリで逃げたとしても、ほんの十分では安全圏に逃げ切ることは出来ない。
 警部に詰め寄っても、彼は皮肉に唇を歪めただけだった。
「あなたは! それで! そんな事が!」
「私がここで死ねば、充分な報酬と年金で家族が生きてゆけます」
 掴んだ彼の上着が、指先からすり抜けた。
 上着の襟を正し、彼はゆっくりと煙草を取り出し咥える。
 ニ、三度ライターが空打ちされ、それからゆっくりと紫煙が立ち昇った。
 その煙が鼻をつき、それがきっかけで、背中に、現実が圧し掛かってきた。
 私は? いったい私には何が残る?
 私は、いったい何を残した?
 自らの遺伝子さえ残さず、私はここで蒸発するのか。それが運命だと?
 カウントダウンが、耳の奥で轟音になる。
 生きようと望む全てが、走馬灯のように脳裏を駆け抜け、そして、私は硬直した。
 無意識に突っ込んだポケットの中に、砂の感触。
「若い者の方が、影響が早いみたいですな」
 悔やむようにうつむき、煙草を挟もうとする、彼の指が、ない。
「うかつでしたな。どうして、我々は自分は大丈夫などと自惚れていたのでしょう」
 おそるおそるポケットから手を取り出した私は、私にもそれが訪れていることを知った。
「自らのルーツさえわからぬまま、私達は生きていたんですな。そして、そんなものは本当はどうでもいいものなんだ。今、ここにこうしているという事が、何よりも大切だった」
 苦笑いする彼の中に、何が訪れているのか。
 彼方から訪れ、ここに根付き、生き、生き、系譜を綴ったもの、とは。
 人に関わり、人と交わり、この世界の片隅で、ひっそりとその陣地を広めた、もの。
 いつしか彼らは自らの足で立ち、この大地を闊歩することを望みながら。
 しかし、切実な望みは、たった一人の女性の狂気に駆逐されようとしている。
 さらさらと身体を崩しながら、私は全てを焼き尽くす業火を待ちわびていた。


 全てのものが灰燼と化す頃。
 白い建物の片隅のコンピュータが、とある分析結果を吐き出していた。
 『分析不能……。一致データ無し』
 それは、助手が送った『足』の分析結果だった。  



ヒトコト 草刈 見る人によって受け取り方は様々でしょう。夢の中とも地獄とも。絵のなかのそれは、たぶん、私自身です。
深瀬 最後の展開に悩みました。急展開過ぎましたか?
正義と真実の違い。彼女が何故そこを目的地にしたのか、等、書き込むことは沢山ありますが、とりあえず今は、これで。

挿絵  草刈
文章  深瀬 ('0501・書き下ろし)

 

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